ピラミッドはどう建てられたのか――4500年前の「現場の日誌」
あれほどの石を、人の手だけで積めたはずがない。ピラミッドを前にすると、そう言いたくなります。けれど2013年、建設のさなかに書かれた日誌が、砂の下から見つかりました。
この記録の結論
- わかっていること
- 2013年、紅海沿岸のワディ・エル・ジャルフ遺跡で、クフ王の治世の終わりごろのパピルスが見つかりました。エジプト最古のパピルス文書で、監督官メレルの一隊が、トゥーラの石切り場からギザの大ピラミッドの現場へ船で石灰岩を運んだ記録が書かれています。
- わかっていないこと
- 巨大な石を高い位置までどう積み上げたのか、全体の方法はまだ決着していません。石切り場で見つかった傾斜路が、ピラミッドの建設にも使われたかどうかも確かめられていません。
見つかった日誌
ワディ・エル・ジャルフは紅海に面した古代の港で、第4王朝のはじめ、シナイ半島の銅やトルコ石の鉱山へ渡るために使われていました。2013年の発掘で、倉庫の入口から数百のパピルスの断片が見つかります。発掘を率いたフランスの考古学者ピエール・タレは、これをエジプトで見つかった最古のパピルス文書群としています。
その一部が、監督官メレルが率いた船乗りの一隊の業務日誌です。日付ごとに、どこを出て、どこに泊まったかが短く書かれています。トゥーラの石切り場で石を積み、ナイル川を下って「アケト・クフ(クフの地平線)」、つまり大ピラミッドへ運ぶ。日誌には、その往復が何度も記録されていました。
石を運び込むための堤防の工事に、何日も取り組んだ記述もあります。巨大な建設が、船と水路を使った運搬の段取りに支えられていたことがわかります。
石切り場の傾斜路
2018年、リバプール大学とフランス東洋考古学研究所の調査団が、エジプト中部ハトヌブの石切り場で、クフ王の時代の傾斜路を見つけたと発表しました。
中央の坂の両側に階段があり、柱を立てた穴が並んでいます。柱に縄をかけて、そりに載せた石を20%を超える急な坂で引き上げたと考えられています。ただし発表は、この仕組みがピラミッドの建設にも使われた「かもしれない」という慎重な言い方にとどめています。
「宇宙人が作った」説
ピラミッドを宇宙人や失われた超文明と結びつける説は、本やテレビ番組でたびたび取り上げられてきました。けれども、現場で働いた一隊の日誌や、当時の石切り場と港の跡が見つかるにつれ、人の手で建てたことを示す材料は増えています。
記録の仕分け
記録に残っていること
- 2013年、クフ王時代のパピルス(メレルの日誌)が見つかった
- 日誌には、トゥーラの石灰岩を大ピラミッドへ船で運んだ記録がある
- クフ王時代の石切り場に、縄と柱で石を引き上げる傾斜路が残っている
説の部分
- 宇宙人や失われた超文明が建てた
- 人の力では運べない未知の技術が使われた
否定・未確認
- 宇宙人の関与を示す記録や物証はない
- 石を積み上げた具体的な方法は、まだ決着していない
よくある質問
- ピラミッドは誰が作ったの?
- 記録が示しているのは、古代エジプトの人々が組織的に建てたということです。2013年に見つかった日誌には、石を運んだ一隊の仕事が日付ごとに書かれていました。
- メレルの日誌には何が書かれているの?
- 監督官メレルの一隊が、トゥーラの石切り場から大ピラミッドの現場へ、船で石灰岩を運んだ往復の記録です。堤防の工事の記述もあります。
- ピラミッドの石はどうやって運んだの?
- 石切り場からは船でナイル川を運んだことが日誌からわかっています。石切り場からの引き上げには、縄と柱を使った急な傾斜路があったことも見つかっています。